石原詢子の結婚歴は?出身(小・中・高)や歌手を目指すきっかけ、現在について。

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演歌歌手の石原詢子さん(55)が出身地の岐阜県で『NHKのど自慢』に出て同郷の野口五郎さんとの2ショットをブログにあげられていました。

石原詢子さんといえば「みれん酒」が有名ですよね。

そんな石原詢子さんを調べてみると結婚歴が検索されていますが、結婚されているのでしょうか?

この記事では石原詢子さんの結婚歴や出身小学・中学・高校と、歌手を目指すきっかけ現在について調査しました!

石原詢子さんのプロフィール

石原詢子さんのプロフィールを紹介します。

  • 本名:石原 悦子(いしはら えつこ)
  • 別名:美風、いとう冨士子
  • 生年月日:1968年1月12日
  • 年齢:55歳
  • 血液型:A型
  • 身長:161㎝
  • 出身地:岐阜県池田町
  • 職業:演歌・歌謡曲、詩吟
  • 所属事務所:石原音楽事務所
  • 好きな食べ物:ラーメン
  • 趣味:絵画、料理、読書

現在55歳になる石原詢子さんですが、見た目はとても美しく55歳よりももっと若く見えますよね。

そんな石原詢子さん詩吟家元の長女として誕生しました。

4歳の頃から詩吟の練習を続け、12歳という若さで師範代となり生徒への指導をされていました。

詩吟は和歌や漢詩などを独特な節回しで歌う芸能なので、同じ歌う職業の演歌歌手になったのも必然だったのではないでしょうか?

演歌歌手を目指すきっかけ

演歌歌手を目指すようになったのは10歳の頃、石川さゆりさんが歌う「津軽海峡冬景色」をテレビで見て歌手になる夢を抱きました

そして見事20歳になった1988年10月、CBSソニーから「ホレました」で演歌歌手でデビューされています。

10歳の頃に抱いた夢を実現させる行動力は本当にすごいですよね!

石原詢子さんの出身小学校

石原詢子さんは自身のブログ「詢子のひとりごと」で2015年、2016年、2018年に小学校の同窓会に参加したことを綴っています。

出身小学校は地元池田町内の岐阜県池田町立八幡小学校です。

この頃にも4歳の頃から習い始めた詩吟の練習をしていて、

毎年10月の大会をめざし、夏は朝4時半に起こされて近くの山にある神社の境内で発声練習。放課後も2~3時間は練習。父親の教室で、ほかの生徒さんの練習に参加することもよくありました。

                         引用元:エイジンググレイスフリー

子供で朝4時半に起きるのはとても早いと思いますが、放課後も2~3時間練習していたことから、石原詢子さんは友人と遊ぶ時間もなかったのではないでしょうか。

友達と遊ぶことでしか経験できないことがありますから、もしそうだとしたらすごく可哀想に思えますし、とても悲しい事だと思います。

このエピソードからもわかるように石原詢子さんの父親はとても厳しい人だったようで、当時の父親の事を

「鬼のように厳しい人でした」

「情熱的な人だったことと、私を日本一の吟詠家にさせたいという父の大きな夢があったんですね。私は、父の夢をかなえてあげたいという気持ちもありつつ、涙を流しながら特訓についていく感じでした」

                         引用元:エイジンググレイスフリー

と語っています。

父親が大きな夢を抱くことは子供にとっていい影響を与えることのように思えますが、石原詢子さんにとってはつらかったようです。

しかしこの時の詩吟の練習があったから歌うことが上手になったと考えると、結果としてやってきたことは無駄ではなかったと言えるのではないでしょうか?

石原詢子さんの出身中学校

石原詢子さんは自身のブログ「詢子のひとりごと」2017年に池田中学校の同窓会に参加したことを綴っており、地元岐阜県揖斐郡池田町にある池田町立池田中学校出身という事がわかりました。

中学時代は部活動には入っておらず、中学時代も父親に詩吟を指導してもらっていました。

ちなみに中学校の卒業生には、フリースタイルスキー選手の堀島行真さんがいらっしゃいます。

石原詢子さんの出身高校

石原詢子さんの出身高校は地元岐阜県揖斐郡揖斐川町にある岐阜県立揖斐高等学校(ぎふけんりついびこうとうがっこう)です。

1919年に開校した共学の岐阜県立揖斐高等学校の偏差値は39で、比較的入りやすい高校です。

ちなみに高校の卒業生には総合格闘家の所英男さんがいらっしゃいます。

高校に進学する際、勇気を出して父親に「東京に行って歌の勉強をしたい」と伝えますが一笑されてしまったそうです。

普通ならそこであきらめてしまってもおかしくありませんよね?

でも石原詢子さんは違うんです。

高校卒業後に上京しデビュー

それでも諦めず父親を説得し続けます。

「絶対に許してもらえないと思ったので、高校3年間でお金をためて、家出の計画を立てたんです。ただ、実際には『お父さんに顔向けできないようなことはしなさんな』と母に言われて、がんばって父を説得しました」

                         引用元:エイジンググレイスフリー

高校生活の3年間を上京して勉強する事だけを考えて過ごしていたという事になります。

この事からも本当に歌手になりたいという強い意志がうかがえますよね。

そして説得を頑張った結果、最終的に条件付きではありますが上京の許可が出るんです。

その時父親から出された条件というのが

  1. 新聞配達をすること
  2. 仕送りは一切なしで自活すること
  3. 毎日実家に電話すること
  4. (2年やってみて)20歳までにチャンスを掴めなければ実家に戻ること

でした。

条件を見るととても厳しいと思いませんか?

普通なら躊躇してしまいそうですが、やはりここでも石原詢子さんは違うんです。

「働いて自活するというのは、全然苦じゃなかったんですよ。新聞配達は多少辛かったけど、一番大変だったのは電話でした。一週間も電話しないと、向こうから大家さんの所にかかってきて、約束も守れないんだったらもう帰ってこいといわれて」

                         引用元:石原詢子公式ホームページ

この条件でも全然苦ではなかったことを語っています。

その後も新聞配達以外にもアルバイトを掛け持ちしながら、ボイストレーニングや踊り・芝居のスクールにも通っていたそうです。

一日にこんなに詰め込むとさすがの石原詢子さんもかなりハードな日々だったようですが、それでもこの生活を続けます。

その時の心境を

「帰ったら父親のいいなりになって、私じゃなくなると思ってましたから。やっぱり自分のやりたいことをやって、女でも自立できるんだっていうところを見せたかったですし、 どうせやるんだったら、1枚ぐらいレコードを出さなきゃって思ってました」

                         引用元:石原詢子公式ホームページ

と語っています。

何が何でもやってやるという強い気持ちが伝わってきますよね。

その頑張りがあって20歳になった1988年10月CBSソニーから「ホレました」で演歌歌手でデビューされるんです。

これだけの条件をクリアするなんて本当にすごいですよね。

有言実行とは石原詢子さんのためにある言葉なんじゃないでしょうか。

歌手生活のターニングポイント

デビューはしたんですがテレビ出演もなくまだ無名だった石原詢子さん

その後は全国のカラオケやスナック、喫茶を回ってCDやカセットテープを売り歩く日々を過ごします。

やはり芸能界は厳しくそううまくはいかないようです。

普通なら心が折れてしまってもおかしくない状況ですが、石原詢子さんはやっぱり違うんです。

本当に歌うことが好きなんだと、自分で思いました。こうやって一生懸命やっていれば、いつかチャンスがやってくるんじゃないかなって、それを信じてやってました」

                         引用元:石原詢子公式ホームページ

持ち前の前向きな気持ちで努力し続けます。

そして努力の甲斐あって石原詢子さんの歌手生活のターニングポイントが訪れます。

デビュー6年目の1994年に発売した「三日月情話」が日本作詩大賞優秀作品賞に選ばれ、翌年の1995年には「夕霧海峡」が20万枚を超えるヒット作になるんです

さらに1999年には石原詢子さんの代名詞でもある「みれん酒」が40万枚というヒットを記録し、翌2000年にはNHK紅白歌合戦に初出場を果たしています。

NHK紅白歌合戦に出場した事で、国民的演歌歌手の仲間入りを果たされます

石原詢子さんのこれまでの努力の過程を見ると当然の結果と言えますよね。

石原詢子さんの結婚歴

石原詢子さんの結婚歴についても調べましたが、石原詢子さんは現在結婚歴はなく独身のようです。

なぜあれだけ美しい女性なのに結婚されていないのでしょうか?

詩吟を教わっていた時の事を語っているなかで

「このままいったら私の自由な時間はなくなるんじゃないか、という不安をいつも感じていました。でも怖かったので反抗もできず、言われるがまま。将来はお父さんに言われた人と結婚しなきゃいけないんじゃないかと思うぐらいの、がんじがらめの生活は苦しかったですね」

                         引用元:エイジンググレイスフリー

と語られています。

「将来はお父さんに言われた人と結婚しなきゃいけないんじゃないかと思うぐらいの、がんじがらめの生活は苦しかった」という苦しい記憶が、結婚に踏み出せていない要因の1つなのではないでしょうか?

また他の要因として考えられるのは石原詢子さんの心の支えになっている2匹の飼い猫の存在です。

「本当にどれだけ救われたかわからないですね。外出できなかったときは、誰とも会話しない状態が何日も続いて、『そういえば私、全然声を出していないなぁ』と思ったときに、猫ちゃんに語りかけて、愛くるしい顔を見つめると心が和みました。ひとつひとつの行動もかわいいですけど、私がしょんぼりしているとひざ元に来て、じーっと見ることがあって、私の気持ちがわかるのかしら、と思うことが多々ありましたね。2匹でけんかして『こらっ』と叱ると、2匹そろってヒュッと逃げる。そういうしぐさもかわいいし、いたずらっ子の子どもができたみたいなものですね」

                         引用元:エイジンググレイスフリー

「猫を飼うと結婚できない」とよく言われていますが、自身でも子どもができたみたいなものと語っていることから、猫を飼っていることも石原詢子さんが結婚をされていない要因とも考えられますよね。

ただどちらも憶測でしかないので、本当のところはわかりません。

石原詢子さんの現在

現在55歳になる石原詢子さんは

40歳になってから、女性にとって40代が一番いいときだと思っていたんですけど、50歳を超えてからは、これからだと思っています

もちろん若い人に比べたら肌が衰えたり、朝起きたら手が痛かったり、いろいろなことがこれから先もたくさん起きると思います。でも、今だったら自由になるものがある。例えば時間、お金があって好きなことができる。自由な時間を作れるようになって、やりたいことをできる年齢になっている。とても素敵なことだと思うんですよね

                         引用元:エイジンググレイスフリー

と語っています。

実際に50歳になってからピアノや三味線を始めて、リサイタルやディナーショーで披露されています。

デビュー当時の過程を見てもわかるように、石原詢子さんはかなりの努力家なので、人前で披露できるくらいになるためにかなり努力されたのではないでしょうか。

50歳になってから始めるエネルギーにも驚かされますね。

また気分転換のためにゴルフや温泉旅行に行ったり、体型維持のためパーソナルジムに通って筋トレやプールにも行っているようです。

とても前向きに自身の人生を楽しんでおられる姿は、本当に素敵ですよね。

そんな石原詢子さんの事なので、これからもいろいろな事に挑戦されていく事でしょう。

石原詢子さんのこれからの活躍に期待しましょう!

まとめ

この記事では

  • 石原詢子さんのプロフィール
  • 演歌歌手を目指すきっかけ
  • 石原詢子さんの出身小学校
  • 石原詢子さんの出身中学校
  • 石原詢子さんの出身高校
  • 石原詢子さんの結婚歴
  • 石原詢子さん現在

について調査しました!

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